一応、というか読書メーターには感想は投げた。
あれは今まだ何を積んでいるのかくらいで使っているので、ざっとこんなん
自分のバイブル、ファイトクラブ。新板もBDも持ってるので、せっかくなので旧板を買うことにした。今回それにあたって新板を読み直すことに。新板Kindle、新板文庫で、今回で3周目かな。それからの旧版。しかし新旧あれど訳者は同じ。しかし15年初版と99年初版という差がある。話はもちろん同じだが、旧版は言い回しが固い気はした。昔の翻訳小説という感じ。字幕は旧版、葺き替えは新板というイメージ。他の違いは旧版が訳者あとがき、新板は著者あとがきと別の翻訳の方の解説。
正直新板読み返すだろうなぁという感想。言い回しは新板のほうが好き。いい意味でカッコつけ過ぎてる。旧版の付箋は15箇所。新板は22箇所。見逃しや言い回しの違うでつけなかったのもあるだろうが、見比べて同じにつけようとは思わない。その時の感性が大事。
とまぁ、書きはした。
正直書きながらも別にもう必要なくないかとは思っている。
俺が一番好きなシーンは苛性ソーダで手を焼くシーンだ。
というかその前後が刺さる部分が多すぎる。
とりあえず
新板マーラ「膿んで、病んで、腐りかけた自分をあたしは受け入れる」
ここめっちゃすき。付箋貼ってある。
そして
旧版マーラ「あたしは自分のじくじく膿を流す病根と寝るの」
なんか固い。付箋はついていなかったし多分スルーしていたんだと思う。
読み直すとでも「寝る」っていうのはあっちの意味だろうしこれはこれで味がある感じはするな。
でもまぁ、日常で思い出すセリフではない。
あとは、長いけど書き起こそう。腹に落とし込みたいし。
□新板
お前はまだどん底にほど遠い、とタイラーが言う。一番底まで落ちなければ、救済のされようがない。イエスは十字架にかけられてどん底に落ちた。金と財産と知識を投げ打つだけでは足りない。これは週末のお忍び旅行じゃない。自己改善から逃れ、一目散に破滅へ走らなければならない。事なかれ主義ではここから先に進めない。
「怖じ気づいてどん底まで落ちられないなら」タイラーが続ける。「そいつは絶対に真の成功を手にできない」
破滅を経て初めて蘇ることができる。
「すべてを失ったとき初めて」タイラーが続ける。「自由が手に入る」
ぼくが感じているのは、早熟な悟りだ。
「かきまわすのをサボるな」タイラーが言う。
□旧版
お前はまだどん底にはほど遠い、とタイラーが言う。どん底まで落ちなければ、救済もない。イエスは十字架にかけらたときどん底に落ちた。金と財産と知識を投げ打つだけでは足りない。週末の気分転換とはわけが違う。自己改善などかなぐり捨て、まっしぐらに破滅へ走らなければならない。事なかれ主義ではここから先に進めない。
「怖じ気づいてどん底まで行かれない人間は」タイラーが続ける。「絶対に成功しない」
破滅を経て初めてぼくらは復活できる。
「すべてを失って初めて」タイラーが続ける。「自由が手に入り、望みのことができるようになる」
ぼくが感じているのは、早熟な悟りだ。
「だからかき回し続けろ」タイラーが続ける。
とりあえずこんなもんかね。
いい意味で説教臭いんだよな新板。んで、旧版は良くも悪くも古臭い。
古典に片足突っ込んでる翻訳を読んでいる感覚。
あと、こう、自己啓発セミナーじゃない。って書いてあるのにそういう風に捉えてる俺等って最高に皮肉な存在だなと思った。
説教臭いほうを望んでいるんだなと俺はわかったから俺は新板のほうが好きなんだろうなって。
まぁ、なんとなく手に取ったほうでも読むように使おうかな。
左画面に映画も再生してるし、ちょっと続いてるししばらくいいかも。
てかまぁ、俺は何が書きたかったんだろう。
あとはまぁ夕飯終わらせたら今年のまとめでも書こうかな。